mmntnem’s blog

徒然と…

比べるな、取り込むな、個を見よ

いまは躁のようだ。

 

 

いろいろなことに引っかかり、怒ったり悩んだりする。

今日はあまりにも暇だったので、昔のことを引っ張り出して怒っていた。(暇すぎる)

 

 

お前はわかってない。そして、私は解を持っている。

 

 

これはかつて私が短期間のうちに様々な人と会い、お話しをする場を設けていた時期に言われた言葉だ。

 

わかっていないのは私だけだったのだろうか?あなたは、私のこと、精神病のことをよくわかっていたのだろうか?

どうも、理屈で説明できてもついていかない心の問題というものを無視されているような気がする。根本的に話が合わない。

 

自身の失敗体験と克服法を聞くのはとてもためになる、がそれを聞かせてもらった後に

 

で、お前はそれができていないんだ。

 

と言われると私のプライドが許さず、心の中でとても怒る。

私は病気と数年付き合い、年中ぼーっとしているだけでもなく、文字が滑るような状態で震える指で文字を追い精神に関わる本を読んだ。あまり好みではないタイプの心理学の本も読んだ。勉強してきた、そのおかげで自分のゆがみやおかしいところははっきりと認知しているつもりなのだ。

 

だから余計なことを言わないで欲しい。あなたは私のことを何もわかる気がなさそうだし。

勝手に私というものを自身の中に取り込んで、同じ処理をしようとする。恐ろしいことだ。

 

 

人の経験は全て個別のものであり、決して比べてはならない。

自分の親が亡くなった話をしている友人に、自分の親もいついつに亡くなったよという切り口で励ますだろうか?

乗り越えるべきものは一緒でも、個人の背景やこれからの道のりにある苦難、それぞれの性格などは別物だ。

 

発展途上国の話を持ち出す人間は絶対的な貧困のことを語るが、日本の相対的貧困の話をしている人間には出会ったことがない。スケールのより大きいものを出して相手を納得させるプレゼンテーションをしているだけなのだ。

それは相談でもなんでもないもので、私はとても気持ちが冷める。

 

容姿の話も同じく。恵まれているなら、苦しい部分はスルーしろというのだろうか?

目をそらすという行為が私は最も苦手だ。自分の下を見て精神の安寧を図ることはあまりしたくない。自分自身と向き合わないと生きてる意味がより一層わからなくなる。

視野が狭いと言われたら否定はできないが。

 

例えば家の跡を継ぐことが決まっているようなお坊ちゃんと呼ばれる方でも、苦労があると察する。世間はそういうものをわからない。平気であの人は恵まれてるのに〜と語る。

それゆえ、嫉妬という大きくて、邪悪な感情で平気に人を傷つける。

そんなのどうでも良いだろう。人間が、個人が幸せになることだけを追い求めることができないのが悔しい。

 

解があるのなら、あくまであなたの経験として、一例として、語って欲しい。

 

成功者ほど自信満々に語るので怖くて、アァネ、と思う。

 

ああいった人は、自分のわからないものや、わかる必要のないものというのを切り捨てるのが上手い。

しかし、人間性を生み出しているとも言える人の生き方を、統一させてしまおうとする考えはとても恐ろしい。

 

負の要素であってもそれは人間を作る、個性である。たとえ状況が悪くても前を向いているのならそれでじゅうぶんではないだろうか。

 

処罰ではなく支援を。

 

支援というのは話を聞くだけでもいいものだと考える。

しかし人はアドバイスをするのが好きだ、そこに若干のマウントなどが混じってくる。そうしたら私の気にくわない話ばかりが耳に入る。

真面目すぎて申し訳ないな。

 

ああ、人間は面倒臭い。

それでもそんな人間を愛せるときはあるのでくじけずに生きていこうと思う。

 

 

 

 

次の鬱はどんなものか。